ビーチサッカー

松岡翔太(アヴェルダージ熊本BS)〜24時間をデザインする〜前編

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サッカーは世界中の人々を魅了する。

ただでさえ体の中で脳から一番離れている「足」でボールを扱うのだ。

全速力で走って、体がぶつかり合いながら小さなボールを足で扱い、芸術的なプレーを披露する。

観て胸踊らない人はいないだろう。

それが小さいコートで、砂浜で、オーバーヘッドの様なアクロバティックなプレーの連発したらどうだろうか。

それこそ非日常的な世界に吸い込まれる。

そんなビーチサッカーという世界に魅了され、夢を追い続ける一人の男の話だ。

 

ビーチサッカーの虜になり、ついに日本代表に選出された松岡。スポーツブランド「EVOLE」を展開するエボレジャパン株式会社の社長という顔も持ち合わせる。

 

 

1ミリもサッカーをやめることは考えなかった

ーサッカーを始めたキッカケは?

兄の影響で小学4年生の時から始めました。

入ったのは地元の少年団です。

小学校を卒業する頃にはすでにプロサッカー選手になるという目標は固まっていましたね!

ただサッカーが好きすぎたのか、卒業文に「サッカーになる」って書いたんですよ。(笑)

 

ーそれほど生活の一部だったんだろうね。(笑)中学生時代はどうだった?

同級生達と中学校の部活でプレーしました。

入部してからはキーパーやってたんですよね、シュート止めるのかっこいいから。(笑)

でも途中で転校することになって、転校先ではフィールドに戻されました。。。

試合にも出られなかったし、本当に下手くそでしたね。

 

ーそれでも進学先は強豪・大津高校へ。

プロを多数輩出していた名門だったから入ればチャンスはあると思ってました。

一般で入った僕にとっては、スポーツ推薦で入ってくる県内トップクラスの彼らとは雲泥の差があるわけですよ。

でもね、目標はプロサッカー選手になることだったから、レベルの高い選手とプレー出来るのは本当に楽しかったんです。

長期の怪我もあり結局公式戦には一度も出られませんでしたけど、ひたむきに頑張ったこの三年間は財産になっています。

自分自身、下手なのはわかってましたけど、それがやめる理由になんてならなかったです。

サッカーやめようと思ったことなんて1ミリも無いですよ。

少しでも上手くなりたい。一心不乱に練習に取り組んだ高校時代。

人生を大きく変えてくれたシンガポール

ー大学でなく、専門学校のJAPANサッカーカレッジへ進んだ理由は?

クラスメイトがたまたま見つけた資料の中にサッカーの専門学校があって「マツ、ここいいんじゃない?」と笑いながら言われたんですが、個人的には結構ビビビっときてしまって。

そしたらたまたま監督の知り合いがサッカーカレッジにいた関係もあって、ここしかないと思い即決しましたね。

 

ー在学中にはアルビレックス新潟・シンガポールへ。

2年間プレーしました。

1年の時のコーチに行けって言われて「はい!行きます!」って。

正直深く考えることなく、流れに身を任せるように決断しましたね。(笑)

 

ー海外でサッカーするってなると少しは迷いとかありそうだけどね。(笑)

まぁ、プロになるためなら何でもしようと思ってたので!

実際行ってみたら、刺激だらけでした。

元Jリーガーと一緒に練習したり、多くの観客がいる試合でプレー出来たり、急激な成長を遂げる街に圧倒されたり、もう全てですね。

日本しか知らなかった僕にとってはすべてが新鮮で刺激的でした。

プロのリーグ、環境で2年間プレーした事で大きく成長した。

 

ー若い選手にとっては本当にいい環境だよね。

先輩に色んな場所に連れてってもらって、色んな人に会わせてもらって、徐々に自分の中の価値観が変わってく事に気付いたんです。

こういう考え方もあるのかと。

それまでは同級生、離れていても2個上の先輩とか基本的には学生同士としか一緒に行動してなかったから、こうやって大人な人達と関われたことは大きかったですね。

 

世界を見た先に

ーシンガポール退団後はタイにトライアウトに行ったんだよね?

はい!

シンガポール2年目の時に東南アジアでプロになろうと思って、情報収集は欠かさなかったですね。

タイにいたのは1ヶ月くらいかな?

4、5チームまわって、結果は契約できなかったんですけど、こうやって一人で海外でトライアウトを受けに行けるくらいの行動力は身につきましたね。

 

ーまた海外でプロになる為に挑戦しようと思わなかったの?

思ってましたよ!

帰国して、バイトしてお金貯めて、またタイに行こうと思ってました。

その時に自主練できる場所を探してたんですよね。

そしたら先輩がビーチサッカーやろうよって言ってくれたんです。

先輩とも話して、サッカーに還元できるよねって事で、一緒に練習させてもらう事になったんです。

そこがビーチサッカーとの出会いですね。

 

あくまでも「プロサッカー選手」になりたかった松岡。

だが、ビーチサッカーに出会った事でサッカー人生に大きな変化が。

後編に続く。

・松岡 翔太

・1989年9月22日

・熊本県出身

・ビーチサッカーに魅了され没頭し、今では日本代表に選ばれた。

現役選手の傍、スポーツブランド「EVOLE」を展開するエボレジャパン株式会社の社長としても活躍している。

・所属クラブ

サッカー

詫麻西小学校 – 東部中学校 – 菊陽中学校 – 大津高校 – JAPANサッカーカレッジ – アルビレックス新潟・シンガポール

ビーチサッカー

アグレッソ山口 – 東京レキオスBS – アヴェルダージ熊本BS