海外サッカー

西原拓夢(ラオ・トヨタFC)〜何も知らなかったからこそ出来たこと〜

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憧れのプロサッカー選手になる為に海を渡る。

以前は一握りの人間しか渡らなかった。

いや、渡れなかったのだ。

今ではヨーロッパ・アジア・南米など、多くの選手が野望を持って海を渡っている。

彼らは何故「海外」へ出るのだろうか。

単身でミャンマーに乗り込み、道を切り開いた西原拓夢に話を聞いた。

海外でスタートしたプロ生活も今年で3年。今シーズンはラオスリーグで優勝を勝ち取った。

プロになる為なら行くしかないと思った

ーミャンマーでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせたわけだけど、きっかけは何だったの?

学生の時にはJリーガーになりたいと思っていました。

J3・JFL・地域リーグの練習やセレクションにも参加したんですけど、全部不合格。

それでも諦めきれず、知り合いを通じてFCティアモに入団しました。

そのシーズン中に大学の先輩がミャンマーでプレーしている事を知り、直接の知り合いでは無かったのですが、是非話を聞かせて欲しい。と、Facebookを通じ連絡させて貰ったんです。

話を聞いてるうちに海外でプレーする事に興味が湧いてきたんですよ。

プロサッカー選手として生活出来るのは日本だけじゃないんだって。

それで、現地の日本人の方を紹介して貰って、ミャンマーへ渡りました。

大学卒業後、地域リーグで自分を見つめ直した。

 

ーそれは代理人を紹介して貰ったって事?

いえ、違います。

現地でサッカースクール事業を行なっている方でした。

その方に練習場の場所を聞いて、ミャンマーに着いた次の日に練習場に行き、監督に直談判して練習に参加しました。

5チームくらい練習参加しましたね。

 

ー初めての海外なのに全部自分で交渉して練習参加して、契約出来たなんてすごいね。

それが違うんですよ。

ある日、練習を見に来てたミャンマー人のおっちゃんに話しかけられてんです。

「連絡先教えてくれ。」って。

何やねんこいつって思いながらも、全然知らないおっちゃんに電話番号教えてましたね。

そしたら、数日後にそのおっちゃんから電話かかって来たんですよ。

「エーアワディーってチームの練習試合でろ〜。」って。

何やねんその怪しい名前のチーム!!って思いながらも気がついたら試合に出てましたね。

それから2週間ほどチームに帯同したんですけど、毎日のように入れ替わり外国人がテストに来るわけですよ。

自分の太ももくらい太い首を持った外人を見た時には絶望しましたね。

世の中にはこんな怪物おるんや。って。

でもその2週間の間結果を出し続けることが出来て、エーアワディーと契約することが出来たんです。

条件も個人的にはとても満足できるものでした。

話を聞かせてくれて協力してくれた先輩や、現地でお世話になった方には本当に感謝しています。

最後はミャンマー人のおっちゃんのおかげですね。

知らない世界に何も知らないまま飛び込んだ

ー契約したエーアワディーってAFC CUP出たよね?国際大会に出るチームと契約出来たのって本当に凄いよね。

当時、全くその大会の重要さを理解してなかったんですよね。

アジア大会なんやなぁ〜って思いながら消化してしまいました。

国を移動してタイトルのかかった試合をする事の重みが分からなかったんですよ。

もしあの時、大会の重要さが分かっていれば、もっと成長できたんじゃないかと思うんです。

アウェーのマレーシアで2万人の観客の中試合したり、違う国の選手と対戦できたのは凄い良い経験になりました。

 

ーそんな中、プロとして戦った初めてのシーズンはどうだった?

外国人の出場枠が3人までという規約があって、常に「そこ」との戦いでした。

前期はほとんど試合に出られなかったんですけど、後期は少しづつ試合に出れるようになって、結果も残すことが出来ました。

エーアワディーとは1シーズンで契約満了になったんですが、違うクラブが僕のことを評価してくれて、2年目はミャンマー国内で移籍しました。

外国人として出場するために、日々必死にアピールした。

 

ーステップアップとはいかないまでも、順調だね。

他のチームや国にもテストに行って結果が散々だったので、嬉しかったです。

でも、シーズンが始まって4ヶ月目から給料の未払いが発生したんです。

選手は当然練習ボイコット。

その後も未払いは続いてリーグ戦もボイコットしました。

その後、当然チームは消滅。

シーズン途中ですが、日本に帰国することになりました。

 

ーうん。順調に良い経験してるね。

積み重ねですね!!

 

何も知らない事が武器になる

ー今シーズンお疲れ様。そして優勝おめでとう。

ありがとうございます!

 

ー2ヶ国目、ラオスでの生活はどうだった?

チームとして優勝できたことは誇らしいんですけど、個人的にもっと大きなインパクトを残したかったです。

チームに日本人のエースストライカーがいたんですけど、その人の壁を超えられなかった。

それでも、学ぶことはとても多くて一緒にプレーできて良かったです。

生活は安定してました。

食事も不自由しなかったし、給料の未払いもなかったので。

屈強なフィジカルを武器にピッチで激しく戦う。

 

ー今後の目標は?

もう一度国際大会の舞台に立ちたいです。

そのためには、ストライカーである以上結果にこだわらなければいけないので、良い準備をして目の前のことを全力でこなしていきます。

 

ーこれから海外に出ようと思ってる選手にアドバイスを。

僕は何も知らなかったんです。

だから思い切って踏み切れた。

海外に出たから、見えた事、気付けた事がたくさんあるんです。

勇気を持って、まずは一歩踏み出して欲しいです。

 

「何も知らない」から始まったプロサッカー選手としての生活も今年で3年目。

知らなかったからこそ、気付きは多かったのだろう。

来シーズンに向け、どんな新しい道が彼の前に開かれるのだろうか。

 

・西原 拓夢

・1992年7月17日生まれ。

・兵庫県明石市出身。

・ポジション FW

・フィジカルの強さを武器に貪欲に得点を狙うストライカー。

・所属クラブ

人丸FC – リベルタ明石 – 明石城西 – 関西大学 – FCティアモ枚方 – エーアワディー・ユナイテッド – ネピドーFC – ラオ・トヨタFC