高校を卒業してJリーグに加入し、活躍をして輝かしいキャリアを築く選手もいれば、最低契約年数満了後に退団し若くして引退する選手も少なくない。
今ではJ3が発足され、JFL以下の環境が充実してきたり、以前より海外サッカーが身近になった事によりそういった選手がプレーを続ける選択肢は多くなってきたと言えるだろう。
しかし、松本憲が「好きなサッカーで飯を食い続ける為」に海外へ出たのはそれよりも前のことだ。
J1でのプレー実績のある彼が何故サッカー未開拓の地、ミャンマーに向かったのだろうか。
自分の未熟さを知ったJ時代
ー高校卒業後に当時J1だった千葉に加入し、Jリーガーのキャリアをスタートさせましたね。
高校2年生から練習参加してて、プレーを認められて加入する事になった。
ープロサッカー選手としてスタートした1年目はどうでしたか?
全てにおいて差を感じたよ。
細かいところも含めて、全て。
加入当初はオシムさんだったんだけど、練習はめちゃくちゃきつかったし、自分でもついていけていたかどうか分からなかった。
ー3年目は出場も増えてきたが契約満了になってしまいましたね。
少しずつ試合に絡み始めていた時に怪我したんだ。
そのタイミングで監督が変わって、怪我も繰り返してしまったんだ。
メンタル面でも波があって、気が付いた時には居場所が無くなってしまっていた。
怪我を繰り返し、最終的には3年目にして契約満了になってしまった。写真引用元・ゲキサカ
ーJ1でのプレー経験があれば日本でプレーを続けることは難しくないんではないかと思いますが。
J1でプレーは続けたかったし、Jリーグの合同トライアウトにも参加したんだけど、怪我も治ってないし、メンタル的にも怪我してるのに動けるわけないでしょって感じで全然動けなかった。
プレーを見てもらう大事な機会だったはずなのに全力を尽くせなかったんだ。
今思うと本当に未熟だったと思うよ。
モチベーションを保つのが難しかった
ーアルビレックス・新潟シンガポールへ加入。海外へ活躍の場を移しました。
Jリーグで続けてプレー出来ないとなった時に話を貰ったから決めたんだよ。
本当はヨーロッパに行きたかったんだけど怪我もあったしそんな余裕なかったな。
もう切り替えて行くしかなかった。
ー2年のシンガポール生活を経て、タイへ。
正直シンガポールでのサッカー生活は満足いくものではなかったよ。
日本とは全く環境の違う中で戦わないといけなかったし、チーム内でもレベルの差があった。
ナルさん(鳴尾直軌・元グルージャ盛岡監督)が監督で色んな事を厳しく要求されたり、決して良い環境とは言えない中だったけど成長できたんじゃないかな。
タイに行った時は運よく1部のクラブと契約できたんだけど、シーズン前に監督が変わって、ある日知らない外国人が来た。
その後すぐ、君とは契約解除するから日本帰ってくれって。
3年契約だったはずなのに開幕1週間前に突然のクビ、払われたのは数ヶ月分の給料のみ。
失望の中日本への帰国を余儀なくされた。
日本ではさらに厳しい環境に
ー帰国後、当時関東1部だったY.S.C.C.に加入。
サッカーで給料が貰えない完全にアマチュア。
工場で働いてその後練習。
練習場も土だったし、何だこれって。
でも、そんな中でも皆んなサッカー好きで頑張ってるんだよね。
そんな仲間を見てたら、俺も頑張らないとって思えたんだ。
こういう気持ちに気付けたのは大きかった。
ーその後グルージャ盛岡へ移籍しましたね。
シンガポールで腐っていたのを知っていたのにも関わらず、ナルさんが誘ってくれたんだ。
だから決めた。
この人の為に頑張ろうって。
盛岡では寮もあったし、人工芝での練習だったから、サッカーに打ち込める環境は整っていたよ。
ーしかしJFL昇格には届かないどころかリーグ戦も優勝できなかった。
相当な覚悟を決めて挑んだシーズンだったから本当にショックだったよ。
何も出来なかった自分に不甲斐なさしか残らなかった。
リーグ優勝を逃した最終節福島戦終了後は人目もはばからず涙した。
ミャンマーで唯一無二の存在に
ー盛岡退団後にミャンマーのクラブと契約しましたが、何故ミャンマーだったのでしょうか?
海外に行きたくてヨーロッパ・アジア含めて探してたんだよ。
色々話があった中で条件が良かったミャンマーへトライアウトに行く事に決めた。
練習に参加して2日目に契約できた。
ー1年目からオールスターに選ばれるほどの活躍でした。
それくらいの自信あったよ。
別に活躍しようとか意気込んでた訳じゃなくて、自分のプレーを出し続ける事によって、周りとの違いは作れていたと思う。
毎年オールスターには選ばれてて、今年はリーズ(イングランド2部)と戦えた。
アジアツアーで来て、ミャンマーについてすぐに試合したと思うんだけど、しっかりサッカーして来た。
トップチームじゃなかったと思うけど、あの体の大きさで技術もあったし、スピードもあった。
衝撃はあったし、やっぱりヨーロッパ行ってみたいなぁと思ったよ。
2018年にはミャンマーオールスターに選ばれリーズ(イングランド2部)と対戦した。
ーミャンマーでは外国人枠にアジア人枠が設けられていませんよね?必然的にデカくて強い選手が必要とされる中、長年必要とされているのは何故でしょう?
自分のしたいプレーを続けてるだけだよ。
特に結果も残せてるわけじゃないけど、周りを生かしてチームの為にプレーしてるのが評価されてるんじゃないかな?
守備はしないけどな。(笑)
でも共にプレーした選手が代表とかに選ばれたりするのは嬉しいよ。
厳しい環境の中成長させてもらった
ーJリーグ・地域リーグ・海外サッカーと色んなカテゴリーでプレーして得たものはありますか?
全ていい経験だけど、決して恵まれているとは言えない地域リーグでのプレー経験は大きな財産になったのは間違いないよ。
純粋にサッカー好きな奴らが集まってて、厳しい環境の中でも頑張ってた。
プレーもそうだけど一緒に生活して変なプライドを捨てることができて、人間的に成長できたよ。
ーこれからも海外での挑戦が続いて行くと思いますが、今後の目標はありますか?
ワールドカップ優勝!!
ーえっと、個人としての目標を。。。(笑)
ワールドカップ優勝!!!!
ーありがとうございました!!
様々なカテゴリーでプレーする事によって成長することができたと言う松本。東南アジアのように外国人の入れ替わりが激しい中、1つの国で、それもトップリーグでプレーを続けることは簡単なことではない。それでも自分のありのままを表現する事によって、この男は戦い続ける。
松本憲
1987年8月28日生まれ。
神奈川県横浜市出身。
ポジション MF
抜群のスピードと、確かな技術を武器にピッチを切り裂く。
所属クラブ
横浜F・マリノスジュニアユース新子安-明徳義塾高校-ジェフユナイテッド市原・千葉-ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブス-アルビレックス新潟・シンガポール-シーサケットFC(タイ)-Y.S.C.C.-グルージャ盛岡-ズェカピン・ユナイテッドFC(ミャンマー)-カンボーザFC(ミャンマー)-ズェカピン・ユナイテッドFC(ミャンマー)