「サッカーが好き」
言うのは簡単だが、第一線でプレーを続けるのは生半可な事じゃない。
ましてや日本のアマチュアカテゴリーで1円でもサッカーでお金を貰えるようになるなんて本当に一握りの存在。
ほとんどの選手がアルバイトなどの仕事をしながら生計を立てながらプレーしているのが現状だ。
大学でAチームの試合にも出れなかった選手が、自分でも想像できなかった”今”があるのは何故なんだろうか。
地域リーグの存在さえ知らなかった
ー大学卒業後、最初に所属したのがサウルコス福井だよね?入団に至るまでの経緯を教えてくれる?
大学4年になった時にAチームに上がったんだけどAチームでの出場機会は無くて、Bチームが出場する「Iリーグ」で試合に出てたんだ。
当時プロになるのが夢だったけど、Jリーグのテストに行く実力さえなかった。
だから就職しようと思って就活をしてたんだけど、サッカー以外でやりたい事が見つからなかったんだよね。
それで監督に相談したら福島ユナイテッドのセレクションがあるよって教えてもらったんだ。
地域リーグの存在なんて全然知らなかったから、へぇ〜サッカー続けられるなら行ってみようって感じだったのは覚えてる。
その福島のセレクションに参加した時に福島から福井へ就任した監督が見に来てて、興味持ってもらって福島側が獲得しないのを聞いて、じゃあウチに来ない?って連絡来たんだ。
ー就活してたのに就職しなかったんだね。普通だったら周りに流されて何となく働き始めそう。
いや、本当にサッカー以外やりたい事見つからなかったんだよね(笑)
でもその時の決断は今でも良かったと思うよ。
ー初めてのサッカーと仕事を両立させながらの生活はどう感じた?
最初は大変だったよ。
朝から夕方まで仕事して夜から練習の繰り返しだった。
クラブも上を目指していたから練習の強度も高かったしね。
でもサッカーを続けられている事が幸せだったし、毎日充実してたよ!
福井でサッカーと仕事の両立という生活をスタートした。(後列左から2番目)
初めての海外サッカーで初めて気付かされた個の必要性
ーグルージャ盛岡での2年を経て向かったのはモンゴルだったね。
実は、盛岡退団後に直接モンゴルに行ったんじゃなくて、FC刈谷に入団したんだ。
盛岡退団後にいくつかセレクションを受けててね、そのうちの一つの海外サッカーセレクションみたいなのを受けていてね。
その結果が刈谷に入団した後すぐ届いて、「モンゴルのクラブが君を欲しがっている」とオファーをもらったんだ。
正直凄い悩んだよ。
もう刈谷でシーズン戦う準備をしていたからね。
でもクラブに事情を説明して退団させてもらった。凄い迷惑なことをしてしまったんだけど、送り出してくれたクラブには今でも感謝してます。
とにかくサッカーで生活したい、、サッカーを仕事にしてみたかったんだ。
ー実際にモンゴルで初めてプロ選手として生活したわけだけど。
いやー、厳しかった。
待遇は生活できるギリギリの範囲だったし、何より選手個人がこんなにフォーカスされて見られるんだなって。
ー例えば?
日本だったらチームでこう守りましょうねってグループとして戦うんだけど、あっちでは外国人助っ人選手として最後の砦にならないといけなかった。
失点したら何で止めてくれなかったんだってなってしまうね。
だからいつも以上に周りに気を使って自分のパフォーマンスを最大限出さないといけなかったから本当に大変だった。
でも、これがプロという世界なんだなと考えさせられるきっかけになったし、もっと成長したいと思った。
プロの環境でプレーした事によって個の成長の重要性を強く感じた。
自分が日本でサッカーして給料貰える日がくるなんて思ってもいなかった
ーモンゴルでのシーズンを終えた後はまた日本の地域リーグに戻って来た。
モンゴルから帰って来た後、地域リーグの合同セレクションに参加したんだよ。
そこでラインメール青森から対人の強さを評価されてオファーを頂いたんだ。
提示された条件にサッカー給が入ってたんだよ。
日本で何にも結果を残してない自分が日本でサッカーでお金を貰えるなんて思ってもいなかった。
もちろん仕事との両立だったけどね。
それでも、とても嬉しかった。
ーJFLにも昇格してプレーしたよね。
盛岡(当時東北リーグに所属)にいた時はほとんどの試合を指をくわえて見ているだけだった。
でも青森では、コンスタントに試合も出れて地域決勝という舞台にも立って優勝もした。
めちゃくちゃ嬉しかったね。
サッカー続けてて良かったって思ったね。
ーやり続けたからこそ掴むことができたんだね。
本当にそうだと思う。
どこかで諦めていたら今は無かったから。
今所属している松江では、よりサッカーに打ち込める環境が整っているから充実してるしね。
応援を身近に感じられる事が力の源になる
ー長く地域リーグでプレーしてるけど、地域リーグの魅力って何かな?
応援を身近に感じれる事。
例えば、盛岡にいた時に学童で働いていたんだけど、子供たちや親御さん、先生方含めて全ての人達が応援してくれていた。
仕事で毎日行ってたから毎回励ましの言葉をいただいていたし、勝った時は一緒に喜んでくれた。
応援してくれる人達の為にも試合に出たいって気持ちがあって、それが頑張る力になっていたね。
今回のこのインタビューも、まだ種市真太はサッカー続けてますっていうのが色んな人に届くといいな。
ーアマチュアカテゴリーだからこその距離感だよね。最後に今後の目標を聞かせてください。
Jリーガーになる。
サッカー続ける限り目指すのはそこだよね。
その為には試合に出て、貢献して、クラブを昇格させたい。
今まで自分が想像さえしていなかった事が起こってきたのは続けてきたから。
続ける限りチャンスはあると信じてるよ。
そのチャンスを掴む為に日々努力します!!
自分でも信じられないようなキャリアを歩んできたと語った種市選手。それは諦めずに続けてきたから。今、どれ程の人が自分の好きな道を諦めて別の道を進んでいるのだろう。選択する瀬戸際に立っているのだろう。私はこう言いたい。『好きな事をやれ。』と。真っ直ぐな気持ちが伝わる素敵なインタビューでした。
種市真太
1988年12月1日生まれ。
埼玉県出身。
ポジション DF
グラウンドに響く大きな声の指示、対人の強さが売りの経験豊富なセンターバック。
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