サッカー選手は人に夢を与える職業だ。
サッカーに出会って人生が変わった。
この言葉は選手だけに当てはまる言葉ではないだろう。
2009年、三重県鈴鹿市でサッカーに出会った1人の男の夢が始まった。
右も左も分からないまま始まったサッカー観戦
ー中西さんと鈴鹿の出会いはいつ頃なんですか?
2009年ですね。
名張から鈴鹿にチームが移ってきた年です。
僕は鈴鹿市役所に勤めているのですが、当時名張から鈴鹿にサッカーチームが移転してきたという話を聞いて試合を観に行くことになったんです。
会場の着いて、せっかくなのでシーズンチケットを買おうと思い、周りの人に何処で売っているのか聞いたんですよ。
そもそもチケットが無いよと言われたのはビックリしました。
ー地域リーグ以下は観戦無料ですからね。笑 初めての試合観戦はどうでしたか?
当時はチャントも何も分からない素人でしたから、とにかく声出しまくってましたね。
良いプレーだったらナイスプレー!とか頑張れー!とか。
相手選手に対しては厳しい言葉も浴びせていました、、、笑
そしたらね、試合後に選手が僕のところに挨拶しに来てくれたんですよ。
ありがとうございました!って。
選手に声が届いていたのがすごく嬉しかったんです。
これがきっかけでまた行こうって思えました。
最初に頑張れと声をかけた選手は榊選手でしたね。
今でも忘れません。
ー当時サポーターはどれくらいいたのですか?
少なかったですよ。
2009年、鈴鹿が初めて全社に出たのですが、3人で千葉県市原市まで応援しに行きました。
現地に行って、目の前に飛び込んで来た光景に驚きました。
松本山雅のサポーターがグラウンドの周りを囲って応援してるんですよ。
これは選手を後押しするだろうなと。
2010年から駅などでチラシ配りを始め、サポーターを増やす活動を始めました。
サポーターを始めた頃の中西さん。ここから人生が変わり始めた。
お金を払って鈴鹿の試合が観れる幸せ
ー思い出に残っている試合はありますか?
それはもう、沢山。
公式戦のピッチの上に出ている一平君は残念ながら見れなかったけど、練習試合で左サイドを駆け上がって行く姿は今でも覚えていますよ。
ーそれは本当に嬉しいです。ありがとうございます。
嬉しかったのは2012年に天皇杯に初出場して名古屋グランパスと試合した時ですね。
何が嬉しいかって、お金払ってチケットを買って、試合観れたことです。
3枚買いました。
天皇杯に出ると、記念グッズに出場チームのロゴが入ってるんですよ。
名だたるJリーグのチームと並んで鈴鹿のロゴが入っていたのも嬉しかったです。
試合は負けてしまったのですが、サポーターの数でも名古屋3000vs20鈴鹿で僕らが死ぬほど声出しても一瞬でかき消されるんですよ。笑
ピッチの上では180cmの年棒何千万円の選手と、かたや160cmの時給800円の選手が戦ってるんですよ。
選手が頑張ってるのに、俺らも負けてられんと必死でした。
まぁ一瞬でかき消されるんですけど。笑
ーサポーターとしてそうやって全国のチームと対戦できたり、全国周れるのも楽しみの一つですよね。
僕は基本的にその土地のグルメとか観光ってしないんです。
選手と共に戦うためにコンディションを整えるために。
でも今年からは全国リーグになるので、グルメや観光も楽しもうと思ってます。
ー素晴らしいですね、、、
いえいえ、唯一の楽しみは試合後にコインランドリー洗濯が終わるのを待っている時にその日の試合を振り返る時間ですね。
これが楽しいんです。
今まで鈴鹿に所属した全ての選手の顔と名前を覚えていると話してくれた。
一生をかけて楽しめるものに出会えた
ー改めてJFL昇格おめでとうございます。(夏頃インタビューの予定だったが、中西さんのJFL昇格決めてからお願いしてからお願いします。という要望に応え、12月に変更した。)
ありがとうございます。
選手たち、スタッフが頑張ってくれたお陰で無事に昇格出来ました。
もちろん過去に所属してプレーしてくれた選手たちのお陰でもあります。
みんな、ありがとう。やったぜ!
本当に笑って喜びました。
泣くんじゃなくて笑ってましたね。
みんなが喜ぶ姿を見れて良かったなぁという想いが込み上げてきました。
ー最後に、鈴鹿に出会えて良かったことを教えてください。
サポーターを始めてから、モノクロ写真がカラー写真に変わってゆくかのように人生が鮮やかになっていきました。
一生をかけて楽しめるものに出会えたんです。
一生楽しむならサポータですよ。
活動を理解してくれてる家族にも感謝しています。
JFL=全国です。
ということは鈴鹿を退団した選手を観れるチャンスがあるんですよ。
その時はそっと見守り、心の中で叫んでやろうと思います。
もちろん勝つのは鈴鹿ですけどね!!
あ、後、実は地域CLが終わってからいくつか取材の話を頂いたんですけどね、全部断わったんです。
夏に約束してから最初にインタビューしてもらうのは一平君って決めてたから。
選手と同じように様々な背景があるサポーター。
だからこそ選手を想う気持ちも人一倍なのかもしれない。
サッカーは全ての人たちの力によって創り出されているいるものなのだ。
【氏名】中西 芳章
【年齢】47歳
【出身】三重県鈴鹿市出身
【経歴】鈴鹿アンリミテッドFC(旧・FC鈴鹿ランポーレ)
毎試合同じ服装でスタジアムへ乗り込み、声が枯れるまで叫び続けるのが持ち味のサポーター。特技はブログ更新「Victory Cross(鈴鹿アンリミテッドサポーターブログ)」。